「これはキツかった」

本日は、いつもと違うお話をさせて頂きます。


私がこれまでにしてきた仕事の中で「これはキツかった」という話をさせて頂きます。

 

私が31歳から38歳まで務めたラーメン屋「びっくりラーメン」での話になります。

 

私のこれまでの転職回数はとても多く、履歴書からはみ出すほど転職をしました。 どの会社もある程度勤め、先が見えて自分が求めていたものと違うと感じると、他を探すということを繰り返していました。

 

成功するにはどれがいいのか分からなかったので、とにかく新しいことにチャレンジしまくりました。

 

そして、素人でも独立可能という文章に興味を示し、びっくりラーメンの門を叩きました。

 

正直な気持ちは「ラーメン屋なんかをこの俺がやるとは思わなかった」と思いながら決めたことを思い出します。

 

それでも5店舗ほど自分で持てば裕福な暮らしができると思い、3年間休みは要らないと覚悟を決めて、チャレンジすることにしました。

 

当時びっくりラーメンはまだ大阪の福島区にしかありませんでした。

さあ、これからいよいよ全国展開するぞという直前に私は入社しました。

1か月目はとても人のいい店長のいる店で働くことになり、居心地最高でした。

 

そしてすぐに、新しい店長に変わりました。

 

新しい店長は、実は会社命令で、前店長があまりにもいい加減で、人件費や食材を使いまくり、管理能力が無いと判断され、これを改善するために新しい店長にしたということでした。

 

新店長は元和食のさとで店長されていた方でした。

 

その新店長は前の店長の息のかかった私をとても毛嫌いしました。

 

そして、こんなことを言われました。

「お前!前の店長と同じような仕事しかできないなら、一生うだつの上がらん店に回したるからな!」と、 初対面でいきなりですよ、びっくりしました。

 

私はそれまで洗い場がメインの仕事で、あとは暇な時間なら、何とか一人で作れるというレベル。

 

やることなすこと全てけなされ、私的には前の店長に教えてもらったことを、そのとうりやっているだけのですが、新店長に言わせれば全部ダメ。

 

人件費がかさむからと、慣れていない私を無理やり、ラーメン屋の心臓部であるラーメン作りに放り込みました。

 

メン場といいます。 このメン場は伝票を見ながら店全体に指示を出しながら、自分はラーメンを作る、とても重要なポジションです。

 

昼のピークは一瞬で満席になるので私は不安で不安で仕方ありませんでした。

 

そして迎えた昼ピーク! 小さい店ですが、それでも目の前に一瞬で注文伝票20枚ほど並び、私は焦るばかりでした。

 

一気に覚えることができない私は、一枚一枚伝票を進めようと決めていましたが、少しでも早く出せるものは出そうと、決めたこととは違うことをしてしまいました。

 

とうとう、どれをどこまで進めたのか分からなくなり、客席を見渡すと、ご飯と数杯のラーメンが出ているだけの状態でした。

 

全員の客が私を睨んでいました。

私は恐怖のあまり店を閉めたくなりました。

 

そして私は全員のお客様に聞こえるように大きな声で、「申し訳ございません! 今から作り直します! 本当に申し訳ございません! 」と謝り、既に出していたものを全て回収し、新たに作り直していきました。

 

やっと最後の注文を提供し、ホッとしたのもつかの間、 お客様から「俺の昼休憩過ぎてしもたやろ!」とか「たかがラーメン作るのに何時間かかってるんや!」とか「 席に座ってから1時間待ったわ!」 などさんざん言われました。

 

これは入社後2か月目のできごとです。

そして3か月が過ぎようとしたころ、私を面接した部長が店に来ました。

 

店長に、「柴原をちょっと借りるぞ。」 と声をかけ、私を外へ連れ出しました。

 

話の内容は、

「これからわが社は全国展開に打って出る!

まずは皮切りに名古屋を攻める!

既に名古屋1号店は出店済、2号店は開店初日だが人材不足で人手が足りていない。 1か月でいいから行ってくれ。」

と言われ、すぐ行くことになりました。

そして、名古屋到着後すぐに店舗入りしました。

季節は1月のとても寒い日でした。

 

 店自体は新規開店後1週間ほどしか経っていなく、一日中お昼のピークみたいに満席です。

目が回る忙しさです。

店の規模も、私の今までの店とは比べ物になりません。

 

そして、私が名古屋入りして三日目に店長が突然来なくなりました。

社員は私一人です。

あとは全てアルバイトです。

 

私は本社に連絡しましたが、すぐに他の店長を行かすから耐えてくれ!と言われただけです。

 

私は応援で来ただけで、しかもオープン当初から関わっていないので、店のこともパート、アルバイトの名前も、誰が何時に来れるのか、何も分かりません。

 

店は24時間営業、年中無休。

これはマズイことになったと思いました。

まだ私は、入社してから3か月と少し。

さぁ、これからどうしようか。

お店は新規開店してまだ10日ほど。

私の力は大阪にいた小さな店を、やっと廻せるか廻せないか、くらいです。

 

心細く、不安でたまりません。

しかも毎日ほとんど寝ていません。

私はパートやアルバイトの面接をやり直しました。

誰がいつ出勤できるのか把握するためです。

総勢50名の大所帯です。

毎朝6時に入店し、店を出るのは深夜2時、20時間労働!

 

2時に店を出ても、寮に戻るとパートさんの勤務シフト作成や自給計算をするので、睡眠時間は1~3時間ほどです。

 

それから数日が過ぎ、待てど暮せど新店長は来ません。

 

そして、やっと来ました! と喜んだのもつかの間、3日目に店長が逃げました!

 

飲食業界一筋で生きてきたベテランがですよ。

この卑怯者!と私は思いました。

こうなったら俺がここの店長をやってやる!

 

私は、飲食業は初めてでしたが、腹をくくりました。

 

早速、本社に連絡し 頼りにならん連中よこすくらいなら、私が店長をやる!

と伝えました。

 

すると、そうか!やってくれるか!

???私は、何この返事!???

初心者の私がやると言ったら普通止めるでしょ!

しかも、喜んでるし!

なんだかやるせない気持ちになりました。

 

もう、既に地獄の日々でしたが、それはさらに続きます。

お昼ご飯を食べる時間はありません。

トイレに行くこともできません。

しかも従業員の多くは中国人、韓国人、フィリピン人、マレーシア人、ベトナム人、その他様々な国の方ばかりで、日本人は僅か数人だけです。

 

 とにかく日本語を教えることからスタート。

ついには外国語学校の先生が来られ、「あなたのおかげで生徒の日本語がとても上手くなり、ありがとうございました。」とお礼に来られたこともありました。

 


それはいいとして、話を元に戻します。

こんなこと言ってはいけませんが、1杯180円のラーメン屋に来る客層はとても悪いです。

ほとんどのクレームは深夜に起きます。

大したことではないような理由でも、酔っ払いには通じません。

 

また、わざと虫を入れて腹が痛いなどの言いがかりをつけてきたりします。

目的は金銭要求です。

クレームの場合、ほとんどが この責任どう取ってくれるんや!ときます。

 

夜中に私の携帯が鳴るたびにビクビクしていました。

しかし、私は 自分の会社を持ったらこんなことくらい自分で処理できなくてどうするねん! という気持ちが強くあったので、その後の数々のクレームを会社に頼らず、全て一人でやりました。

 

そして月日は過ぎ、1月に名古屋に来たのに間もなく4月になろうとしていました。

 

そんなある日、大阪で私をしごき回したあの店長が、名古屋に来ることになり、その店長はマネージャーに昇進していました。

 

久しぶりに顔を合わすと、なんだか以前とは私に対する接し方が変わっていました。

 

そして、このマネージャーと組んで、私が店長で、次々に新店舗立ち上げオープンさせていくことになっていきました。

 

新店舗立ち上げのできる店長は飲食業界では花形らしいです。

私には興味のないことですが。

 

余談ですが、新規オープン時に逃げる店長は後を絶ちませんでした。

それだけキツイんです。

 

5店舗ほど自分たちで新規出店したころ、私は、あれっ! と、あることに気づきました。

店長なので、お金の計算をするので分かりますが、儲けが思ったより少ないことに気づきました。

あまりの忙しさに忙殺されていたので気づくのが遅れました。

 

私は、お金持ちになるためにラーメン屋の独立を目指しているのに、これでは勤め人と変わらないか、時間を考えたら明らかにマイナスだと。

これに気づいた私は一気に熱が冷めました。


そして、これでは私の夢は叶わないと思い、退職を決意しました。

退職を決意した私は、部長にそのことを伝え、マネージャーにも連絡しました。

 

次の日、部長とマネージャーは慌てた様子で私に会いに来ました。

私は、当初の目的が達成できないなら、続ける意味がない!

一度言い出したら誰の意見も聞かない性格なので、止めようとする二人の意見を撥ね退けました。

 

既に名古屋入りをしてから、1年半ほど経っていました。

 

そして、退職日当日、車に荷物を詰め込み、 「よっしゃー!やっと終わった、これで大阪に帰れる!」と気持ちは晴れ晴れしていました。

 

すると、マネジャーが来て私にこう言いました。

「最後にお茶でもせえへんか?」

私は、「まぁ、最後やしいいか」と思い、二人で喫茶店へ。

 

以下、私とマネージャーの会話です。

マネージャー <ま>

柴原 <し>

 

<ま> 次にする仕事はもう決めてるんか?

<し> 中古車のブローカーでもやろうと思います。

 

<ま> その仕事は一人でやるんか?

<し> そうです。

 

<ま> ということは、いついつまでに、誰かとやらなあかんとかいう約束事は無くて、極端に言えば1年後でもいいと言えばいいということやな?

<し> 極端に言えばそうですね。

 

<ま> 次にオープンさせる店はな、日本一デカイ店なんや、それをお前にやってもらおうと思ってたんや!

<し> なんで俺ばっかりですか!他にも店長いっぱいいますやん!

 

<ま> デカイ店をな、普通の店長に任せたらな、スタッフの好き嫌いが出てしもてな、店うまいこと回らへんのや!

こんなデカイ店回せるのお前しかおれへんのや!!!

し> ・・・・・

 

<ま> 今この時期に辞めるお前はアホや!

<し> ・・・・・

 

<ま> 今、どういう時期か分かってるやろ、上場前やぞ!

<し> ・・・・・

 

<ま> 上場したらどうなるか分かるかお前!? 自社の持株の価格は一気に10倍20倍や! 場合によってはそれ以上や! お前も持ってるやろ!

<し>・・・・・

 

<ま> なあ! ええやろ!?

 辞めるの1年後でもいいやろ!?

 1年経ってもまだ辞めたかったら辞めたらええ!

 1年後に辞めても遅くないやろ! 

今、辞めるのは勿体なさすぎる!

<し> ・・・・・

 

<ま> なあ! ええやろ! なあ! なあ!!! なあ!!!!!

<し> 分かりました! じゃあ、1年だけですよ!

 1年経ってこのままなら辞めますよ!

<ま>よっしゃ、分かった、その時は辞めたらええ!!

 

 

マネージャーは、その場で営業本部長に連絡しました。

 

<ま>柴原を戻してやってもよろしいでしょうか?

<営業本部長> そんなこともあるかと思って柴原は休暇扱いにしてある。 いつ戻ってきてもええ!

 

その後、社長と社長夫人が私に会いに来ました。

社長は私を食事に誘いましたが、飲食業は年中人手不足なのでそんな時間はありませんと断り、店に戻りました。

 

後から聞いた話ですが、社長が「わしの誘いを断ったのは、あいつが始めてや。」 と言って1万円食事代を置いていったそうです。

 

みんなが驚いていたのは、あのケチで有名な社長が柴原に1万円出した!と。

その後、私の新規出店は続きました。

 

それから私の担当店舗は27店舗に増え、従業員約200名。

中部地区全体の統括エリアマネージャーになりました。

 

その後、営業本部長の話が来ましたが断りました。

理由は肩書が欲しくてやってるんじゃないと。

 

その後、会社は傾き始めました。

理由は過剰な借金です。

 

もう、このころになると退職は考えないようになっていました。

どうせなら倒産する最後まで一緒に戦ってやろうと思うようになりました。

 

私は、初めての飲食業界だったにもかかわらず、どんどん進めたので、諸先輩達のねたみやひがみ、嫌がらせは凄かったですよ。

 

1か月の約束で名古屋に行ったのに7年も居ました。

そして、人生2社目の倒産となりました。

 

私は、会社や社長に対して不満はありませんでしたが、他の従業員は最後、社長に食って掛かり、このバカ社長!とか叫ぶ者もいまして、社長がかわいそうに思いました。

 

倒産後は、みんながよく知っているあの吉野家が会社を買ってくれました。

その話を付けたのが、私は辞めたと思っていたのに休暇扱いにした、あの営業本部長です。

営業本部長と吉野家の社長は友達だと言ってたような・・・

 

 吉野家に買収されたあとは、従業員はそのまま残れましたが、役職のあるものは当然全員降格です。

 

しかし、私だけがそのままの役職で吉野家の幹部として受け入れられました。

 

けどね、私の性格では何だかスッキリしませんでした!

そこで、私は辞めることにしました。

 

理由は、私は独立するためにびっくりラーメンに入ったので、それが終わったわけです。

 

有難い話ですが、吉野家では興味が湧きませんでした。

 

吉野家を辞めたあと、元びっくりラーメンの社長が小さな場所の更に小さな片隅を借りて、ラーメンの麺だけを作り、それを知り合いの飲食店に販売して生計を立てていると聞き、行ってみることにしました。

 

社長は私が吉野家の社員になれたことを知っていましたが、辞めたことに驚いていました。

なぜ辞めたと聞かれたので、「びっくりラーメンのほうが良かった」と答えると社長は私の目の前で大泣きされました。

 

思わず、私も泣いてしまいました。

 

その後、私はまた職を転々とするわけです。

 

 

おわり。

 

 

 

この仕事はほんまにキツかったです。

 やっている当時は必死でしたけど、今思うとドラマが一杯ありました。

 

 今回は話に出てこないですが、死にたくなった出来事もありましたし、ヤクザの事務所に来いと言われたこともありましたし、このラーメン屋で出会った人と結婚もしました。

これ書きながら思わず涙が溢れます。 あはははは。

 

 

このお話で最終的にはラーメン屋を辞めたところで終わっていますが、私の人生が終わったわけではありません。

 

今回のお話で伝えたかったことは、初めてのことにチャレンジするときは

「覚悟を決めればある一定水準以上は行ける」ということをお伝えしたくて、長々と文章を書きました。

 

それでは、皆さんも覚悟を決めてみて下さい!

結果が変わりますから!()

 

 

さあ、私は福井で新しいスタートをしようと思います。

 

覚悟を決めて!

それでは、また次回をお楽しみに!

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